松尾芭蕉は「奥の細道」の旅へと元禄2年(1689年)3月27日に江戸を出発しました。同行者は門人の河合曽良です。東北、新潟とまわり北陸から大垣までの道程です。
 その道中には金沢も含まれており金沢には松尾芭蕉の足跡が数ヶ所あります。
 彼は元禄2(1689)年の7月15日(旧暦)に金沢に入りました。今回は芭蕉が訪れた時期(新暦8月29日)に近くなったのでゆかりの地を紹介したいと思います。この記事は私が7月下旬から8月上旬にかけて歩いて取材しました。。
「芭蕉の辻」(片町2丁目)

 倶利伽羅峠を経て7月15日に金沢入りした芭蕉は京屋吉兵衛方に泊まり、翌日に宮竹屋喜左衛門方に宿を移しています。この宮竹屋があったのが現在の片町スクランブル交差点あたりです。
 金沢一の繁華街とも言えるこの地に「芭蕉の辻」と刻まれた標注があります。スクランブル交差点そばの植え込みの中にあり目立たないので沢山の人が通る所ではありますがほとんどの人はそれに気が付かずに通り過ぎていると思います。

芭蕉の辻の標注

兼六園山崎山
書は江戸後期の金沢の俳人梅室の筆による
「あかあかと
      日はつれなくも
              秋の風」

 芭蕉は7月24日まで金沢に滞在しました。この間地元の俳人たちと交流をかさねました。当時多くの俳人が金沢にいたようです。
  その交流の中で詠んだ「あかあかと日は難面(つれなくも)秋の風」と言う句はあまりにも有名です。この俳句の書かれた句碑がなんと市内に3ヶ所もありました。

 「他に倶利伽羅峠(後半に記載します)などにもあります」

犀川のほとり
小松砂丘の筆による

 一つは兼六園の山崎山の上り口に、二つ目は犀川大橋近く川のほとりのベンチそばに、三つ目は成学寺の境内にあります。
犀川の句碑から蛤坂を上っていけばすぐ成覚寺に着きます。

 この句は夕日が赤々と照り残暑が厳しいのだが吹く風は秋の気配を感じさせると言った意だと思います。

 歩くことが少なくなった現代では8月の終わり頃、吹く風に秋を感じる人は少ないように思えます。車に乗っていたのでは到底感じることは出来ません。昔の人は季節に対しとても敏感だったようですね。 
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成学寺
(野町1−1−18)

成学寺山門
宝暦5(1755)年芭蕉翁追悼のため俳人堀麦水とその門人らが建てた句碑