国道159号線から看板の指示に従っていくとすぐに駐車場があります。ここはバスなどの駐車場になっています。(トイレもあります)

 そこから案内標識にしたがい山を少し上がると普通車の駐車場がありここで車をとめて早速歩くことにしました。

 駐車場と末森山の間の谷には国道159号線が通っておりその上にかかる陸橋を渡り山道へと入っていきます。

注意事項
 ほとんどが舗装してない凸凹道です。この日午前中に雨が降り続いていたので滑りやすくなっていました。

 結構急な坂道も多く体力に自信のない方や運動不足の方には少しきついかもしれません。
ウォーキングとしては運動量からすると良いコースかもしれません。上の写真のように所々に本丸へと書かれた案内板がありそのたびにもう近いのかと思うのですがすがなかなか本丸には着きません。

森の中はとても静寂で時折ウグイスなど鳥の鳴き声が聞こえます。
 途中からまわりは杉林になります。当時はその所々に建物があったんでしょうね。

 この時私以外誰も山に入っている人はいませんでした。ただ一人でこの静寂の中を歩いていると合戦で亡くなった千五百余名の姿が頭に浮かんでくるようです。そのすさまじかった戦いから四百数十年たった同じ場所で当時と正反対といえるこの静けさは何とも言えない感慨深いものがあります。
 歩き始めてから約15分ほどで二の丸跡に着きました。たった15分ですが蒸し暑いのと坂道の連続で汗びっしょりになりました。

二の丸跡は桜の樹などが植樹されている広場となっているだけです。

そしてそこから少し上をあがると本丸跡がありました。当時三の丸までが佐々成政により陥落され、この二の丸と本丸は最後まで奥村永福らによって死守されたようです。
 本丸跡も広場になっており説明と年表が書かれたものが中央に設置されていました。

本丸からは間近に海が見えました。今は杉の木が本丸跡のまわりに生い茂っていますが、当時は四方八方見晴らしのよい所だったように思えます。

ここで奥村永福の妻は甲斐甲斐しい働きをしていたのでしょうね。
 さてしばらく休憩した後来た道を戻ることにしました。帰りは下りで楽ですがその分勢いがついて滑りやすいので要注意です。

 途中に若宮丸跡という場所がありここも広場になっており何本かの木が植樹されていました。ここから下の方にも平になった場所があり当時何かあったと想像されます。ここも見晴らしが良い場所だったようです。
 
 本丸、二の丸、若宮丸などにある植樹された木はどれもまだ若いので何年か後に桜の名所となり春には華やかな山になればいいなと思います。そうすれば多くの戦死者の供養にもなるのではないでしょうか。
 結局、駐車場に戻るまで休憩を入れて往復4、50分ほどかかりました。

 ここは最近駐車場や案内板が整ったとは言え、一般的な観光地といえる程度ではないと思います。ただそれが良いか悪いかというと、ほぼ自然に近い状態でいかにも山城の跡という雰囲気をかもしだしている今の姿が私とってはベストだと思われました。

 この山の自然と静寂さは当時の様子を私の頭の中で想像力いっぱいに蘇らしてくれたようです。おわり

末森城跡を訪ねて

(2002年7月1日石川県羽咋郡押水町)