国道159号線
大きな看板があるのですぐわかります。
今回は特別編です。

金沢を離れ能登の入り口羽咋郡押水町の末森城跡を歩くことにしました。

 金沢ではないのでこのHPのタイトルに反しますが、藩祖前田利家公のこの末森での合戦の勝利がなければ今の金沢は存在しないと言える程大きな戦いの場でありつながりがあると思い特別編ということで載せることにしました。

 さてこの末森城は地図を見ると石川県の能登と加賀の間の一番細い部分あたります。現在そばには国道159号線と249号線が通っており国道471号線の近くにもなります。国道159号線は金沢から七尾市を249号線は奥能登へと通じています。249号線はお隣の富山県へと続きます。
このように現在でも加賀、能登、越中を結ぶ拠点がここ末森城跡であると言えます。ここをクリック
つまり戦国の世であればここを征することがいかに大事だったかうかがえます。
 この末森城の合戦というのは越中の佐々成政と前田利家の戦いです。NHK大河ドラマでたとえると山口祐一郎さんと唐沢利明さんの戦いになります。(笑)
織田信長の家臣として同僚でありライバル同士の戦いですね。
 当時この城の守將は奥村永福(家福:ドラマでは中条きよしさん)でした。城のあった末森山は標高138.8bです。海にも近く四方を見渡せる山城でした。

 織田信長の死後、1583年に賤ヶ岳の戦いがありその後利家は豊臣秀吉方についていました。
翌1584年小牧長久手の戦いでの秀吉と徳川家康の対立を機に富山城にいた佐々成政は利家を倒そうと大軍を率いてこの末森城を包囲しました。

末森城地図:画像をクリックすると大きくなります。
 もしこの城が成政の手に落ちていたなら利家の領地であった能登と加賀は分断され利家は窮地に陥ることになってしまったでしょう。

 佐々成政は9月8日夜1万5千の大軍を率いて出陣し9月9日には末森城まで4.5qの坪井山に本陣をかまえました。
そして翌10日朝戦いは開始されました。城を守っていた奥村永福以下の前田軍の抵抗は根強く歴史上にも名高い戦となったようです
 この時永富の妻安(ドラマでは松原千恵子さん)の奮闘は後世にも語られるほどで、死傷者を介抱し粥を煮て将兵に配り、自らも長刀で守備にあたるなど大きな働きがあったそうです。

 この日午後2時頃に金沢城にいた利家は報せをうけわずかな手勢を率いて午後4時に出発し夜津幡城に入り午後11時に出陣、翌早朝利家の決死の援軍は成政軍の背後を奇襲しました。この永富の武勇と利家軍の奇襲によって狼狽した成政軍は壊滅し越中に退いたそうです。
 利家のこの戦いは織田信長の桶狭間の戦いを彷彿させるものがあります。
 
 さて、この合戦により佐々成政は完全に孤立することとなりやがて秀吉の大軍を迎えて越中一国を失うことになります。そして利家がその代わりに越中も手に入れることとなり加賀、能登、越中の大大名として確固たる地位を得ることになりました。

 ですからこの末森城の合戦は加賀百万石の礎となった大きな戦いであったと言えると思います。


’(これらの歴史は現地押水町の案内板より参照)

画像をクリックすると書かれた文字が読めます。
さて歴史はこの辺にして次に実際に末森城の跡を歩いた記事を載せます。   次ページへ続く

末森城跡を訪ねて

(2002年7月1日石川県羽咋郡押水町)